前田慶次供養塔  堂森善光寺  見返り阿弥陀如来 

  善光寺の仏様
阿弥陀如来立像
   山形県重要文化財 − 鎌倉時代
阿弥陀如来立像 通称 見返り阿弥陀如来と称され大変珍しいお姿をしています。
全国には京都・永観堂の見返り阿弥陀如来をはじめ数体ありますが、当寺の阿弥陀様は大きく左下に首をひねって後ろを振り返り、そのお顔は、目鼻立ちが整い優しく、まさに往生者を西方浄土へ導く慈愛の表情とお姿をしています。
また、善光寺を中興とさせる益王姫(ますおうひめ)伝説があります。
源頼朝との戦いに敗れた長田庄司忠次の妹である益王姫は尼となり、家に伝わる阿弥陀如来像を背負って逃れましたが、出羽の国にたどり着いたところで追っ手に見つかってしまいました。すると、背中の阿弥陀様が突然振り返り、追っ手をにらみ倒し難を逃れ、善光寺に祀ったと言う云われも残させています。
像高 五十一センチ・桂材、一木造り、右手を上げ、下げた左手側に大きく振り返り来迎印を示し、流れる様な衣の襞(ひだ)は動的で美しさを一層引き立ています。
両手首の欠損、長年の傷みによる割れ等々激しく、平成五年 山形県指定文化財保存修理事業対象となり、山形県・米沢市よりの補助金並びに善光寺檀信徒各位の浄財を賜り、京都 財団法人 美術院において半年間を掛け復元修復され作像当時の美しさを取り戻しました。
伝 長井時広夫婦座像 「大江時広」
   山形県重要文化財 − 室町時代
長井時広夫婦座像 大江時広は鎌倉幕府別当大江広元の次男です。
大江広元は鎌倉幕府創建に多大な活躍をしました。
源頼朝はこの業績に対して大江広元に、置賜郡長井荘・村山郡寒河江荘の地頭職を与え、広元は寒河江荘を長男の親広に与え、長井荘を次男の時広に分け与えました。親広は寒河江氏と称し、時広は長井氏と称し長井氏の祖氏となりました。堂森善光寺は長井時広氏地頭領国以来、保護所として時広氏の庇護を受け広く領民の心のよりどころとなりました。
領主時広氏の仏法護持への真剣で偉大な人間性をうかがうことのできる夫婦座像です。
像は室町時代の作で、欅材の一木彫成です。両座像とも容姿端厳で鼻筋高く、夫人像には唇の朱が僅かに残っています。端然とした冠服像と、夫人像の室町時代特有の小袖などから当時の風俗を知る歴史的価値の高い御姿です。
鎌倉三代将軍実朝の頃の作で「我妻鏡」という書物に登場しています。
善光寺三尊
   室町時代
善光寺三尊像中尊の阿弥陀如来、両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩の三体の立像です。
阿弥陀如来の印は「刀印」右手を上げ、下げた左手の人差し指と中指を伸ばし他の指を曲げているお姿が特徴とされています。
両脇侍である観音菩薩・勢至菩薩は胸の前で両手を水平に重ねる「梵筐印」と宝冠をかぶっているお姿をしています。
素朴な創りで中を空洞にすることなく全体に銅を満たし、両脇侍は台座まで共吹されているので大変重い仏様です。
  • 金銅阿弥陀如来立像 ・・・ 昔から八貫目と伝えられています。
  • 金銅観音菩薩立像 ・・・ 宝冠(七角)に化仏が陽刻されています。
  • 金銅勢至菩薩立像 ・・・ 宝冠(七角)に水瓶が陽刻されています。